五芒星❗️『晴明神社』
ご覧頂きありがとうございます❗️Mayanです🤗
さて、今回は京都にあります晴明神社をご紹介したいと思います。よく車に魔除ステッカー貼ってるの見るし、名前も知っていましたがなぜかご縁なく、初めて訪れました!なかなか見所満載で素敵な神社✨
では、ご一緒に参りましょう(*´∀人)
晴明神社は、言わずと知れた陰陽師 安倍晴明公をお祀りする神社です。
【陰陽師】とは、陰陽寮にあった官職の一つで天文暦学をもとに吉凶を言い当てたとされます。晴明公は唐で学んだのち、日本独自の陰陽道を確立されました。
創建は、寛弘4(1007)年、晴明公の偉業を讃えた一条天皇の命により、その御霊を鎮めるために、晴明公の屋敷跡である現在の場所に社殿が設けられました。
堀川通に面して立つ『一の鳥居』です。
おわかりいただけただろうか?
なんか呪いのビデオ風になってしまいましたが(笑)
神社名ではなく、社紋の「晴明桔梗紋」が掲げられています。「晴明桔梗」は、「五芒星」とも呼ばれ、晴明公が創られた陰陽道を象徴する祈祷呪符です。
「一の鳥居」を背に立つと
市バスのバス停🚏🚌が目の前にあるので、京都観光に組み込むには良きですな❗️駐車場もすぐ近くに広めのコインパーキングがあります。
鳥居を潜ってすぐ、左手に「旧・一條戻橋」があります。晴明公と縁深い一条戻橋は、現在の物は平成7年に架け替えられて、実際使用されていた欄干の親柱を使ってこの「旧・一條戻橋」を再現したのだとか。
“源頼光の四天王の一人として知られる武将、渡辺綱(わたなべのつな)が一條戻橋で鬼女の腕を切り落とした”
という逸話のある場所だそうです。
横には「式神石像」があります。
式神とは、陰陽師が使う精霊で、晴明公も扱っていましたが、奥様が怖がられ、式神は橋の下に封じ込められていたそうです。そして、その式神を使って、橋を渡る人の占い、つまり橋占(はしうら)を行っていたと言い伝えられています。
進みますと、参道脇に『日月柱』(にちげつちゅう)が。南に「日」、北に「月」が配置され、まさに陰陽を表しています。
また、石柱はかつての四神門(しじんもん)の門柱だったものですって。すごい!
更に進みます!
葭屋町通を渡り『二の鳥居』があります。
鳥居の奥に石柱見えますね。これが四神門。
この門、晴明公がお住まいの頃は自動で開閉したそうで、それにちなみ、電動で開閉するそうです。開きっぱでしたが(笑)
門越えてすぐ右手に『晴明井』と呼ばれる、晴明公が念力で湧出させた井戸がありました。水を飲むと病気平癒のご利益があるんですって!
残念ながらコロナ禍でお水取りは断念。
境内はこんな感じです。↓
中央が本殿、左手には晴明公像、右手に厄除桃、更に右手に御神木です。
まず本殿へお参り🙏
本殿アップ写真がない😭ごめんなさい。
晴明公像↓
こちら、晴明公の肖像画を元に作成された像なんです。衣の下で印を結び、天体観測しておられる様子だそうです。
↑厄除桃
古来、陰陽道では、桃は魔除け・厄除けの果実と言われ、自分の厄やまがまがしいものをこの桃に撫で付けて落とす事が出来ます。
桃ピカピカでした✨めっちゃ厄つけられてる(笑)
そして、立派な御神木❗️こちら、樹齢300年と伝えられる楠(くすのき)。木を囲うように足場が組まれていて、両手を樹皮にあて、大樹の力を感じとる事ができます。
他にも桔梗苑だったり、末社に齋(いつき)稲荷社があったりします。晴明公は、お稲荷さまの生まれ変わりとする説も…謎多きお方ですな。そのため、各地で稲荷信仰と習合されるそうです。
安倍晴明公は1005年に85歳で亡くなられていますが!その時代にしたらめっちゃ長生きでビックリしたMayan(笑)
そりゃ、6代の天皇の側近として仕えられたというのも納得でした。
いかがでしたか?
Mayanは正直、こちらで何かを感じたりというのはあまりありませんでした。
が、とても見所があり楽しめました(*^^*)
是非、京都観光の際に訪れてみて下さい。
晴明神社から約550m(徒歩約7分) 口コミ4.8のおすすめホテルです。 |
平成30年11月15日より紙に押された朱印と由緒書きを専用のファイルに入れ、初穂料500円で授与されています。
↓こんな感じです
晴明神社ホームページ